こんにちは。
今月初めにあったとんでもない突風嵐から約3週間がたちました。大変な被害のあったあたりもずいぶん片付いてきましたが、やはりまだまだ痛々しい風景が残っています。


道路も土まみれ。
うちのあたりは古い住宅街なので、妙にこみいった裏路地が沢山あります。
うちの裏の路地も


うちの車庫はこの裏路地にありまして、ここを通って表道にでるようになっているのです。このだら~んと下がっている線、最初は電気もんか、と用心して別の道を使ってました。が、考えてみるとこの辺では停電はありませんでしたし、
ケーブルテレビのじゃないべか
このケーブルは曲者で、誰かが契約すると、ほいほいと線を引いてくるのですが、キャンセルしたり、別のに移ったりした場合、もう使われなくなった線はほっておくそうな。ですから、この嵐でこんなにだらりんとなっていても誰も修理にこないというの、
もう使われてないケーブルだべ
この裏路地に接したお住まいのAさん、お人柄のいい楽しい方で、路地裏のメイヤー(市長)と自ら名乗ってこのあたりのあれこれを仕切ってくれてるおじ様が、毎日ケーブル会社に電話してくれて、先週やっと来てくれたのですが、
👨🔧 うちのではないっす。これは電話の線っす
電話の線がだらりんで誰も文句を言ってこないということは、やはり古い、もう使われてない電話線なのでしょう。
嵐から3週間たって、もう誰も嵐の事を話題にすることさえなくなった、というのに、こうした傷はまだあちこちに残っています。
これをみて、ふと思い出しました。児童虐待の本を読んでいた時に、
虐待がなくなったとしても、虐待を受けた子供の傷はいつまでも残っている
といったことが書かれてました。それはその通りなのですが、改めて目にしてはっとするものがありました。多くの大人が、子供がレスキューされて虐待の環境を逃れたことで
🤓 あ~えがった、えがった~、これでひと安心~
これでもう大丈夫、といった思い込みで、なんで子供がまだ問題行動を続けたり、情緒不安でいるのか、理解を示さない大人が多いのだそうです。
虐待で受けた傷は根が深いですよね。特にそれが親のように庇護してもらうべき相手、愛情を注ぐ対象であった場合はよりつらいものになります。子供は自分を守ろうとする防御サイド、それでも親に気に入ってもらいたいという願いのはざまで自分を失っていきます。ぐらぐらした土台の道を超ハイヒールで歩いているようなものでしょうね。そうした子供たちのケアは虐待が終わった後も長いこと必要だし、いろいろ改善しても後々、ひょいっと顔出すこともあると理解しないといけないんだな~、といった感想をもったことを、この嵐の長く残っている痕跡をみて思い出しました。
それが基本ですけどね。
児童虐待の統計は児童保護サービスが関与したものだけを元にしているので、かなり偏ったものであろうと思われますが、それでも背筋が寒くなります。このパンデミックで行き場をなくした子供たちが沢山いるときいています。
全ての子供たちが安心して暮らせる世の中にしていきたいものですね。
今日もお付き合いいただきありがとうございました。
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