おはようございます。
先日の隔世遺伝の記事でちらりとお話しましたぱぱ君のお母さま。オハイオ州はシンシナチに住んでらっしゃいました。ワタクシがお付き合いあったのは10年ほどでした。
ぱぱ君のお父様は60歳そこそこで、癌のため亡くなっております。その頃お母さまはまだ50代。ぱぱ君たち子供としては、まだひと花もふた花も咲かせられるんじゃないか、と打診したところ
👵 や、そういうのはもういいわ
ということで、お1人でずっと過ごされました。お一人様暮らしで、お歳がいってからも車も運転。しっかりした方でしたのに、ちょっとした手術後の鎮静剤から血液ガスの平衡が崩れ、しばらくして意識を回復した折には、なんと、過去30年くらいの記憶がすっぱ~んと消えておりました。
30年ですので、ご自分の子供はわかるのですが、孫はNG。親しくしていたご近所の人もわからない。そして、どんどんと記憶と共に、いろいろな時代光景が少しごちゃごちゃになられてしまったのでした。
当然 新参者のわたしの事なんぞわかるわけもなく、
👵 あなた、学校いってらっしゃるの?
なんぞ訊いてこられる。
学校はもう散々いって、もう終わったんですよ、おかあさん。
ある時は
👵 ねえねえ、Mちゃんのところの赤ちゃんのT君に会ってきた?
Mちゃんというのは長年の御親友で15年ほど前に亡くなっており、赤ちゃんのT君は私より年上でございます。
さてさて。T君てば、随分大きくなったそうですよ。
突き詰めた話をしても埒があきませんから、こんな問答になってしまってました。
さすがにこの頃になるとお一人暮らしは無理で、アシステッドリビングのメモリーケアにお入りになっておりましたが、記憶に残っている家は、それまで住んでいた家ではなく、どうやら子供の頃に暮らしたお家だったようで、
👵 そろそろ、家に帰ろうとおもうのよ。
などと仰る。
おかあさん、帰ってどうするんです?
と聞き返すと
👵 うちのお父さんとお母さんのお店を手伝おうと思うの
彼女のご両親、つまり、ぱぱ君お祖父母はここ、シンシナチからちょっと離れたところによろず屋さんみたいなマーケットをお持ちだったのだそうです。ちょっと困ったな、と思ったときは、さっと話題を変えちゃうんです。
おかあさん、そのセーターとってもいいですね。
そのセーターはワタクシ共からのプレゼントでしたが、
👵 そう、いいでしょう。Dちゃん(お姉さま)から頂いたのよ
お姉さまのDさんももうずいぶん前に亡くなっていたのですが、仲のよかった姉妹でらしたから、Dさんの話となるととっても楽しそうになられてました。
記憶はこうしてごちゃまぜになっておりましたが、やはり性分というのは、そのままなようですね。人当たりがよくて、お茶目ではあるけど言いたいことは言う彼女は、ご自分のお歳とか人生でどの辺にいるかとかはもう適当になっておりましたが、一緒にいて楽しい人であることは、以前のままでした。
私も、年取って、記憶が定かでなくなっても、こういった人でありたいものです。
色白だから、濃い緑が映えますね。
ってか、ままのお膝の上でぬっくぬくしているじゃござんせんか。
窓辺では
もうこのコストコさんのバッグ、バッグではなく、もふズのお布団としてこの子たちが子猫で会った頃から置かれているんです。
この子達も大きくなりました。それと同時に私たちも年を重ねておりますね。久しぶりにお義母さまの事を思い出して、ちょっとしんみりしてしまいました。私たちはどんな年の取り方でどんな老年となるのでしょうね。
今日もお付き合いいただきありがとうございました。
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