こんにちは。
ユタには日系の方、多々おられます。日本からの移住は1890年くらいか、主に鉄道と鉱山でのお仕事に来た方々だったようです。近所に当初いらした方々の墓地がありまして、裏には必ず日本語で、何年何県何郡で生まれたと記してあり、遠い故郷への想いを見るようで胸にぐっとくるものがあります。
その方々のご苦労は大変なものであったろうと察しますが、皆さまの努力にて、いろいろな事業を起こして成功を得た方もたくさんいらしたとか。太平洋戦争前までは日系の新聞までございました。
戦争中には親日であったユタ州に他所の州から随分日系人が移っていらしたそうです。また、理不尽にも収容所に入れられた方々も、西海岸に帰るよりも、と残った方が沢山おられました。
私の周りにも日系人の方、けっこうおられます。その中のお一人は父方が代々のユタ州日系人、お母さまは日本からお嫁にきた方。彼女はここで生まれ育った方です。が、お米を食べないと食事した気分にならん、とか、日本人ならこうする、あーする、といった「日本人だから」を生活指針に据えているあたり、日本人気質はメイドインジャパン、道産子のわたしなんぞより数段も上だな、と常々感心しております。小さいころからお弁当も堂々とおにぎりやら稲荷ずしやら。周りに珍しがられても、平気の平左。日本語も喋りは片言だけど、聞き取りはかなりのもの。お友達も日系人が多い。
もう一人の方は、中西部出身の日系の女性。やはりこちら生まれ、こちら育ちですが、日本語は一切ダメ。日本の歴史も文化への理解度も平均アメリカ人以下。お母さまはやはり日本からお嫁に来た方なのですが、日本の事は一切教えなかったそうです。アメリカ人として3人の子供を育てる、というのが方針だったようです。だから、お弁当もピーナッツバターサンドイッチとりんご。日系人との付き合いは薄いというか、そもそも自身が日系という意識からして薄いですね。やきそばを作ってくる!と言ってもってきたのが、お蕎麦ヌードルを炒めたものだったときは
なるほど、こういう解釈もありか
このお二人と私とで日本の事を話そうとすると、結構複雑なことになります。日本人はあーだ、こーだ、と枠入れする女史A。ステレオタイプに反抗する傾向のあるニッポン出身の私。日本と他のアジアの国との区別がよくわからないという典型的アメリカ人である日系人女史B。ものすご~く、こんがらがっちゃう時あります。
なんか気まずいわ
意見見解が違ったっていいじゃん、と思うのですが、なんか統一せんとならんという勢いがあるんですね。人はそれぞれ、って当たり前のことが、日本繋がりってことで吹っ飛んでしまうのかしら。
やりづらいわ~
まあ、そういうことになりましょうかしら。
ま、その筋ってことですよ。
や、実はままにもよくわからにのですよ。この日系関係 結構身近でいろいろ、ふ~んとなったり、え?となったり。またちょこちょこ書く機会があろうかと思います。長くなりましたね。今日はこのあたりで。
今日もお付き合いいただきありがとうございました。
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